京都鉄道博物館に保存されている車両のうち、最も古い客車で、本車の前身であるスロシ38000形スロシ38003は、1933年に日本車輌で製造され、北海道に配置された2等食堂合造車です。スロシ38000形は亜幹線用の食堂車として15両新製されました。定員は食堂で18人(4人掛け・2人掛けテーブル各3卓)、2等19人(転換クロスシート)となっています。北海道に5両、九州に10両が配置され、青函・関門連絡船によって本州の急行と連絡を行う島内急行等に連結される形で運用されました。スロシ38003は称号改正でスロシ38 9となり、戦時中は輸送力の増強の為に調理室を残してマハシ49 14と改番されますが、食堂営業は出来なくなります。そして戦後には、旧食堂車を順次整備し、食堂車の営業を復活させる事になるのですが、同車は1953年にスハシ38 102となって宮原機関区に配置され、同年6月15日から大阪~青森間の急行「日本海」にて食堂車としての営業を復帰しました。1961年に廃車となり、兵庫県の国鉄高砂工場で3等室部分も食堂に改装してスシ28 301に改番され、交通科学館(後の交通科学博物館)の食堂になりました。その後新たに保存されたナシ20が食堂車としての営業を行うようになった為、本車での営業は終了しました。このように、スシ28 301として営業列車での食堂車で使用はされませんでしたが、同館で保存されているC53形45号機に牽引され、大阪まで走行はしています。