0系新幹線電車21形普通制御電動車21-1/22形普通制御電動車22-1 16形中間グリーン電動車16-1/35形中間普通ビュッフェ合造電動車35-1

東京オリンピックの行われた1964年に、東京~新大阪間で東海道新幹線が開通しました。専用の0系は、この時に併せて開発され、営業に投入されました。マイナーチェンジを繰り返しながら1986年まで製造が続けられ、全車引退の2008年まで走り続けてきました。全車電動車の2両ユニットという規格になっており、形式番号の奇数はトイレ付でパンタグラフ無し、偶数はトイレ無しでパンタグラフ有になっています。21形は博多方面の先頭車でトイレ付。22形は東京方面の先頭車両でトイレはありません。21-1、22-1は、新幹線小田原駅付近の鴨宮モデル線で試運転を行う為、1964年に完成した量産先行車で、1977年に廃車、翌年から交通科学館(後の交通科学博物館)で保存されました。22-1の車内はかつてミニシアターとなっていましたが、京都鉄道博物館では展示スペースとなっています。

16形は、2形式あった0系グリーン車のうちの1形式です。「ひかり」用の16両編成では12号車に組み込まれ、15形グリーン車とペアを組んでいました。なお、16両編成や12両編成の「こだま」はグリーン車が1両で、16形が普通車の25形とペアを組んでいました。16-1は、鴨宮モデル線で試験運転を行う為1964年に完成した量産先行車で、廃車となり保存されるまで、21-1や22-1と同じ編成で使われていました。

35形は普通車とビュッフェの合造車です。開業当時は12両編成のうち2両が35形となっていました。後に「ひかり」では食堂車と35形が各1両となり、「こだま」も35形は1両になりました。登場当時、在来線の電車特急や急行にもビュッフェはありましたが、36形には腰掛けがあるのが特徴でした。また、速度計があるのも特徴で、初めの頃は、速度計目当てのお客さんも多かったそうです。鴨宮モデル線で試験運転を行った量産先行車の35形は、開業後9号車となる予定だった為35-2が製造され、京都鉄道博物館で保存されている0系の中では唯一、鴨宮モデル線を走っていません。

0系新幹線の運転席
レバーに触れると、運転士になったみたい。

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